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最高裁判所第三小法廷 昭和38年(あ)139号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を福岡高等裁判所に差戻す。

理由

弁護人長崎祐三の上告趣意について

第一は、違憲をいうが、原判決は、所論の如く、国家法益が常に個人法益に優先する旨の判断をしたものでないことは、その判文上明らかである。したがって、違憲の主張は前提を欠き、適法な上告理由とは認められない。

第二は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

検察官の上告趣意について

第一点および第二点中判例違反をいう点は、引用の判例は本件に適切ではないから、前提を欠き、その余の論旨は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

なお、弁護人長崎祐三同朴宗根および検察官の各上告趣意補充書は、いずれも期限後に提出されたものであるから判断を加えない。

職権をもって調査すると、原審は、被告人らが昭和三五年一一月一五日午後八時三〇分頃佐賀県東松浦郡玄海町大字今村トリガ崎海岸に不法に入国または上陸したという本件出入国管理令違反の所為を肯認した上、これを以て刑法三七条一項但書にいわゆる過剰避難と認定しているが、その前提として、被告人張景根の身体、自由に対する現在の危難について、大要次のように判示している。

すなわち、昭和三五年三月に行なわれた韓国大統領副統領選挙の結果、李承晩が大統領に就任したが、その後勃発したいわゆる四月革命によって李承晩政権が崩壊し、李承晩を党首とする自由党の要職にあった被告人張景根は、同年五月二三日大統領副統領選挙法違反の嫌疑で逮捕収監され、次いで同法違反および前記選挙に関する虚偽公文書作成同行使被告事件により身柄拘束のままソウル地方法院に起訴され、同年七月一六日糖尿病、高血圧病のため保釈を許可され、ソウル大学病院において療養中も引続き審理を受け、判決言渡期日は同年一〇月二五日と指定された。しかし、四月革命関係者の革命特別立法要求デモに基づき、前記選挙に関し不正行為をなした者等の処罰を目的とする「民主叛逆者に対する刑事事件臨時処理法(特別法の制定まで関連犯罪者の裁判を中止し、拘束期間の延長、釈放者の再拘束ができる旨を規定する)」が制定公布されたため、同被告人に対する前記被告事件の公判手続も中止されたほか、憲法改正および「不正選挙関聯者処罰法」、「特別裁判所および特別検察部組織法」等の革命立法の制定も迫り、その結果、被告人張景根の保釈が取り消されて再収監された上、いわゆる革命裁判による苛酷な刑罰に処せられることが必至とみられる状勢となった。同被告人はそうなれば、病状も悪化するに相違ないと考え、かかる災難を免れるため国外脱出を決意し、妻の被告人姜萬順、秘書の被告人李炳均と相謀り日本への密入国を企てるに至ったのであり、右のような一連の事態は、刑法三七条一項にいわゆる被告人張景根の身体、自由に対する現在の危難に該当する、というのである。

しかして、記録によれば、被告人張景根が昭和三五年六月韓国ソウル地方法院に大統領副統領選挙法違反等被告事件について身柄拘束のまま起訴され、保釈を許可されてソウル大学病院において病気療養中も同法院の審理を受けていたことは、原判示のとおりであるが、いわゆる革命立法は、被告人らが日本に密入国をした同年一一月中旬頃は、当時既に施行された前記「民主叛逆者に対する刑事事件臨時処理法」を除き、その他の各法案は、漸くその内容が新聞に報道された程度であったことが証拠上明らかである。

したがって、被告人張景根が原判示のような事情の下において、前記「民主叛逆者に対する刑事事件臨時処理法」を除く一連のいわゆる革命立法の施行時期が切迫し、保釈も取り消された上いわゆる革命裁判によって重刑に処せられることを予想していたとしても、これを以て刑法三七条一項にいう現在の危難と断定することはできない。その他記録を仔細に検討しても、被告人張景根の身体、自由に対する現在の危難を肯認できる資料がない。

されば、被告人張景根に対する現在の危難を肯認し、これを前提として被告人らの本件所為を過剰避難に当るとした原判決には、証拠によらないで事実を認定した違法ないしは重大な事実誤認があり、これらは判決に影響を及ぼすものであるから、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。

よって、刑訴四一一条、四一三条本文により、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柏原語六 裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊 裁判官 田中二郎)(裁判官 石坂修一は海外出張)

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